BLOG

RIE MIYATA

知られざるフランソワーズ・サガン

こんにちは。ファッションジャーナリストの宮田理江です。

pic1
「Bonjour Tristess」 Francoise Sagan (c)Jean Leonard/Opale 出版社:Editions Pocke

そろそろショップでは秋物が並び始める時期がやってきます。先日、こちらで「ガリャルダガランテ」の2014-15年秋冬展示会をリポートしましたが、その際もお知らせしたように、14-15秋冬のアイテムは、小説『悲しみよこんにちは』『ブラームスはお好き』などで知られるフランス人女性作家、Francoise Sagan(フランソワーズ・サガン)(1935~2004年)からインスパイアされています。

2014-15年秋冬展示会をリポート記事はこちら。
2014-15秋冬トレンド着こなし総集編

そこで、今回は波乱に満ちたサガンの生涯を振り返ってみましょう。

pic2
 サガン -悲しみよ こんにちは- DVD発売中  価格:4,700円(税抜) 発売元:アスミック・エース 販売元:KADOKAWA 角川書店 (c)2008 ALEXANDRE FILMS

そもそも「サガン」というラストネームは本名ではありません。本名はフランソワーズ・コワレ。ペンネームの「サガン」は、彼女が愛した小説の登場人物から取られています。その小説とは、20世紀文学で最も重要とされる作品の1つに挙げられる、マルセル・プルーストの傑作『失われた時を求めて』。彼女を知るうえで欠かせないキーワード「早熟」を象徴するかのようなエピソードです。

サガンことフランソワーズ・コワレは、第2次世界大戦を前にした1935年、割と富裕なフランス人家庭に生まれました。3人兄姉の末っ子として主にパリで育ったサガンでしたが、女学校では退学を繰り返します。バカロレア(フランスの大学検定試験)に受かってどうにかパリの名門ソルボンヌ大学へ進みますが、文学に心を奪われていた彼女は1年目の進級に失敗。その夏に7週間で書き上げたというのが、デビュー作の小説『悲しみよこんにちは』(1954年)です。

サガンはその後もたくさんの本を書いていますが、第1作を超えるヒットは生まれず、今なお彼女の代表作はこのデビュー作とされています。書いた当時の年齢はまだ18歳。この若さで世界的な名声と膨大な富を手にしたことがそれから先のサガンの人生を華やがせる一方、ゆがませてもいきます。

57年に映画化された『悲しみよこんにちは』は米国人女優ジーン・セバーグが主演し、ベリーショートの髪型「セシルカット」を大流行させました。セシルはヒロインの名前です。セバーグのコケティッシュな演技が思春期少女の残酷な一面をスクリーンに写し込んでいます。セバーグはその後、ジャン・リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』に名優ジャン=ポール・ベルモンドと共に主演し、ヌーベルバーグのアイコンとなります。

サガンは第1作の世界的なヒットのおかげで、巨額の印税収入が手に入り、スーパーリッチに成り上がりました。その金額たるや、5億フラン、当時の額にして360億円にものぼります。ただ、こういった突然の成功者の例に漏れず、サガンの周囲にも筋の良くない取り巻き連中が集まってきて、パーティーや乱痴気騒ぎに明け暮れる日々に。早くに覚えたアルコールや薬物はその後、長きにわたって彼女の生活にダメージを与えていきました。

pic3
「A Certain Smile」 Francoise Sagan/Translated By Irene Ash Cover Photograph By Steve Campbell 出版社:PENGUIN BOOKS

第2作『ある微笑』(56年)もベストセラーにしたサガンは20歳そこそこで流行作家の地位を確立します。しかし、翌57年にはパリ市郊外で愛車アストン・マーチンの運転を誤って道路脇に転落。瀕死の重傷を負います。『悲しみよこんにちは』の悲劇的な成り行きと共通点の多いこの事故は不思議な因縁めいて映ります。サガンは自動車が好きで、しかも猛スピードで車を運転する事を好んだそうです。

サガン作品や本人自身が帯びていた年齢不相応の才気や、大人びた洗練は、パリの空気がはぐくんだもののように見えます。ただ、パリが過去に生んだ早熟の才人たちと同じく、サガンも生き急いだところがあります。「早熟」と並ぶもう1つのキーワード「過剰」はスピードや飲酒、夜遊びなどに共通していて、彼女の危うい生き方を加速させていきました。

pic4
「Aimez-Vous Brahms? 」 Francoise Sagan/Translated By Peter Wiles Cover Picture By Van Pariser 出版社:PENGUIN BOOKS

大事故から2年後の59年には代表作の1つとされる小説『ブラームスはお好き』を発表。『悲しみよこんにちは』から5年で立て続けにヒット作を放って、その実力を証明してみせました。映画化された『さよならをもう一度』(61年)では大女優イングリッド・バーグマンが主演しています。

サガンはその後も晩年まで作品を発表し続けていますが、やがて本業の文学よりも派手な暮らしぶりや破天荒な行動などに人々の好奇と非難の目が向くようになっていきました。2度の結婚は2度とも短く終わりましたが、2度目の結婚では1人息子をもうけています。

ギャンブルにのめり込み、アルコールにおぼれる生活は、安定して筆を握る時間と気力を彼女から徐々に奪っていったようです。麻薬にも手を染め、90年代には不法所持や常用で繰り返し有罪判決を受けています。

若くして途方もない資産を得たはずのサガンでしたが、さすがに長年にわたる浪費やギャンブル三昧を許すほどではなかったようです。晩年は自宅を売却せざるを得ないまでに困窮していきました。普通の感覚であれば、もっと手前でブレーキをかけそうなものですが、熱量の高いサガンのパッションは抑えが利かず、経済的な破滅へと突き進んでいきました。

pic5
「Un peu de soleil dans l’eau froide 」 Francoise Sagan Couverture:Genevience Naylor/Corbis 出版社:Le Livre de Poche

ペンネームが示す通り、フランス文学の系譜に連なる華麗で繊細、そしてアンニュイな作風で知られました。大半の翻訳を手掛けた朝吹登水子(1917~2005年)の美しい日本語訳も日本のファンに愛されました。

77年にはテレビ映画向けの書き下ろし脚本をさらに小説化した『ボルジア家の黄金の血』を発表し、歴史物語に挑む新境地開拓の試みも見せていました。97年のコメディー小説『逃げ道』が生前最後の邦訳小説となっていますが、こちらも読書家の間では高く評価されました。

美しく老いる秘訣を尋ねられて、「恋人をつくることよ」と答えていたサガン。浮き名を流し、ゴシップが報じられることも多かったのですが、69歳での早すぎる最終章は住み慣れたパリから離れた小さな町でわびしく訪れました。親しかった人達が周りから去り、入退院を繰り返していた病院で迎えた静かな最期は、「孤独」というテーマに向き合い続けた作家にふさわしくも見えます。インタビュー集『愛と同じくらい孤独』『愛という名の孤独』には孤独や愛にまつわる、人生を達観したかのような冷めた名言がいくつも語られています。

没後5年の2009年に公開された映画『サガン 悲しみよこんにちは』では、湯水のごとく散財する派手でスキャンダラスな生き方にあらためて光が当たりました。哲学者サルトルやミッテラン元大統領といったフランスの権力者、セレブリティーたちとの幅広い交遊も描かれています。レオパード柄好きのファッションフリークでもあったサガンは、1歳年下だったファッションデザイナーのイヴ・サン・ローランとも親交が深かったそうです。非難を浴びることも多かったサガンの70年に満たない人生でしたが、欲望や情熱を含めて自分にまっすぐだった気性は生涯を通じて変わらなかったと言えるでしょう。

「ガリャルダガランテ」の14-15秋冬のテーマは「TIMELESS MUSE~FRANCOISE SAGAN~」。サガンをミューズに選んで、彼女のイメージを重ねたスタイリングを提案しています。どこか気だるくシニカルでありつつ、パリの気分を漂わせるサガンの作品世界に通じる着こなしは、芯の強さや自分らしさへのこだわりを兼ね備えた大人女性に似つかわしく映ります。今年はサガンの没後10年の節目に当たります。夏のバカンスでは小説でもインタビュー集でもどれか1冊、彼女の本をバッグに入れて、波乱に満ちた彼女の人生に想いを馳せてみてもいいでしょう。

NEW ENTRY

Shop Staff Blog